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1年で稼いだ額、150億ドル。
ジョン・ポールソンはサブプライムローンの破綻を予測し、
一世一代の取引によって、巨万の富を手にした。
彼は、単に取引を成功させたというだけではない。
不動産投資に全く縁のなかった無名の投資家が、
金融史上最大の取引を成功させたのだ。
思い上がったウォール街の金融家たちの失敗を尻目に、
金融崩壊の真っただ中で大成功を収めた。
なぜ政府やFRB、投資銀行はバブルに気づかなかったのか?
なぜポールソンはそれを見抜くことができたのか?
ウォール街の歴史を塗り替えた男の驚くべき舞台裏を、
ウォール・ストリート・ジャーナル紙のトップライターが
見事に描き切った迫真のドキュメンタリー。

「まるで推理小説だ!」――ニューヨーク・タイムズ

 雪崩が起きようとしていた。二〇〇七年秋、金融市場は崩壊の一途をたどり、ウォール街の企業は莫大な損失を生み出しつつあった。まるで、この一〇年間に荒稼ぎした金を数か月で一気に返済しようとでもするかのように。そんな時、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の編集部で損害額を計算していた私のもとへ、あるヘッジファンドマネージャーから電話がかかってきた。その男は電話口で、ジョン・ポールソンという投資家をほめちぎった。このような時世に巨額の利益を生み出しているらしい。電話の相手が感心しながらもうらやましそうに語った次の言葉が、私の心をとらえた。「ポールソンは、住宅の専門家でも住宅ローンの専門家でもない……この取引で大儲けするまでは、どこにでもいそうな、ごく普通の投資家だったんだ」

 一部の名もない投資家が住宅市場の破綻を予想し、あまり知られていないデリバティブを購入して利益を上げているという話は聞いたことがある。しかし詳しい話はほとんど伝わってこなかった。私に情報を提供してくれていた人たちは、自分の会社を維持し、仕事を守ることに必死で、そのような投資家の話まで教えてはくれなかった。当時金融業界の大失態の記事ばかり書いていた私は、いい気分転換になると思い、ポールソンの取引に関する情報を集めてみることにした。相次ぐ金融企業の破綻を分析していれば、そこから何らかの教訓を引き出すことができるように、ポールソンの行動にも学ぶべき点があるのではないかと思ったからだ。
 ある晩私は、帰宅途中のバスの中、ニュージャージー州のニューアークからイーストオレンジへと至る埃っぽい道を眺めながら考えてみた。ポールソンは単に取引を成功させたというだけではない。不動産投資に全く縁のなかった男が金融史上最大の取引を成功させたのだ。そんなことがありうるだろうか?

 ポールソン自身について、ポールソンが乗り越えた障害について知れば知るほど、好奇心が湧いてきた。特に興味を引かれたのは、成功を収めたのがポールソンだけではなかったことだ。ウォール街の企業の枠に収まりきらない大胆で個性的な投資家たちが、ポールソンの後に続いていた。彼らは、財務状態をごまかしながら低金利で融資を続けるウォール街のやり方に不安を感じ、暴落が間近に迫っていると確信した。そして暴落に数十億ドルを投資した。

 こうして一生食うに困らないほどの大金を手に入れた者もいた。また、ポールソンの先手を取っていたにもかかわらず、最後の最後でつまずき、巨額の利益をつかみ損ねた者もいた。

 ポールソンが手にした利益はあまりに巨額で、現実のものとは思えないぐらいだ。二〇〇七年にポールソンの会社(ポールソン&カンパニー)が獲得した利益は一五〇億ドルに上る。これは、人口一二〇〇万人以上の南米諸国(ボリビアホンジュラス、パラグアイ)のGDPを超える金額だ。そのうちポールソン個人の取り分はおよそ四〇億ドルである。一日に一〇〇〇万ドル以上稼いだ計算になる。これは、J・K・ローリング(訳注:『ハリー・ポッター』シリーズの作者)、オプラ・ウィンフリー(訳注:アメリカの人気司会者、女優)、タイガー・ウッズの年収を合計した額よりも多い。二〇〇七年末にブローカーからポールソンに電話があり、ある個人口座の価値が五〇〇万ドルになっていると教えてくれたことがあったという。ポールソンは、そんな口座のことなどすっかり忘れてしまっていた。もはや五〇〇万ドルなど微々たる金額に過ぎなかったのだろう。さらに驚かされたのは、ポールソンが二〇〇八年から二〇〇九年初頭にかけて取引内容を大幅に修正し、会社と顧客にプラス五〇億ドルの利益をもたらしたことだ。ポールソン自身はこれにより二〇億ドルを手にしている。こうした投資活動によりポールソンは、ウォーレン・バフェットジョージ・ソロス、バーナード・バルーク、ジェシー・リヴァモアといったウォール街の一流投資家と肩を並べるまでになった。また同時に、スティーヴン・スピルバーグマーク・ザッカーバーグ(訳注:世界的SNSサイト「Facebook」の創設者)、デヴィッド・ロックフェラー・シニアよりも裕福な、世界有数の富豪になった。

 ポールソンら暴落に賭けた投資家たちも、アメリカ住宅市場の崩壊とその世界的影響により、これほどの損害が生じることになろうとは思ってもみなかった。二〇〇九年初頭までに、世界的な大手銀行など諸企業が被った損失はおよそ三兆ドルである。株式投資家が被った損失は三〇兆ドル以上に上る。不良住宅ローンに端を発した金融市場の大混乱は、世界大恐慌以来最悪の経済危機を全世界にもたらしたのである。二〇〇八年九月には、わずか二週間ほどの間に驚くべき事件が相次いだ。まず住宅ローンの大手貸付機関であった連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)と連邦住宅金融抵当公庫(フレディマック)が、次いで大手保険会社のAIGが米政府の管理下に置かれた。また、投資家がなす術もなく見守る中、かつてウォール街の巨人と謳われたリーマン・ブラザーズが破産申請を余儀なくされた。さらに、経営再建に失敗した大手証券会社メリルリンチが、バンク・オブ・アメリカに吸収された。そしてワシントン・ミューチュアルが、アメリカ史上最大規模の損失を計上して経営破綻し、連邦政府に差し押さえられた。こうした騒動にうろたえた投資家は、国債の買いに走った。何らかの利益を求めたからではなく、安心して現金を預けておける場所がそこしかなかったからだ。

 二〇〇九年半ばにはアメリカ人の一割が、住宅ローンを滞納しているか、家を差し押さえられていた。金融危機のさなかには、エド・マクマホン(訳注:アメリカのテレビ番組司会者、コメディアン)やイヴェンダー・ホリフィールド(訳注:アメリカのボクサー)といった有名人でさえ、家を守るのに苦労していたという。アメリカの住宅価格は、二〇〇六年のピーク時から三〇パーセント以上も下落した。マイアミ、フェニックス、ラスベガスでは下落幅が四〇パーセント以上に達している。その結果、何百万という人が家を失った。また住宅所有者の三〇パーセント以上が、実際の住宅価格よりも高いローンに苦しんでいる。実際、ピーク時の住宅価格はこの七五年で最高の値を示していた。

 しかし、ジョン・ポールソンをはじめとする一部の逆張り投資家だけは、こうした運命を免れた。思い上がったウォール街の金融家たちの失敗を尻目に、金融崩壊の真っただ中で大成功を収めたのだ。

 一体この無名の投資家たちは、専門家さえ見抜けなかった暴落をどのように予想したのか? 史上最大の取引を成功させたのは、住宅や住宅ローン、債券の専門家として有名なビル・グロースやマイク・ヴラノスではない。不動産に関してはアマチュアといっていいほど経験のないジョン・ポールソンなのだ。ゴールドマン・サックスの元CEOであり、財務長官を務めたこともある同姓のヘンリー・ポールソンでさえ、ウォール街の異常に気づかなかった。それなのにポールソンは、どうしてそれを察知することができたのか? あのウォーレン・バフェットでさえ、この取引には思い至らなかった。ジョージ・ソロスも、後にポールソンからデリバティブの手ほどきを受けている。

 投資銀行など金融の専門家たちは、住宅価格の上昇が止まることはないと本当に信じていたのだろうか? それとも、バブルがふくらんでいくことに目をつぶっていた何らかの理由があったのだろうか? また、金融システムを蝕む不良住宅ローン債券を開発した当の銀行家が、その最大の被害者になったのはなぜなのか?

 この大胆な取引に参加した主要人物たちへ二〇〇時間以上に及ぶ取材を行い、本書を執筆したのは、こうした疑問に対する答えが知りたかったからだ。本書は、その答えを提示するだけではない。今後また過熱するかもしれない金融市場に対する教訓と洞察を与えてくれることだろう。